他人が怖い
後ろの足音が明らかな男物だと恐怖を覚える。
さらに範囲を狭くして表現するなら、清潔感のある20代~30代という幅に当てはまらない人間が苦手だ。
自分が透明な存在になれたなら、恐怖を感じる他人から見えない存在になれたならこの世界で生き続けたいと思えるかもしれない。
だがそれは対症療法であり根本の解決にはならない。そんなことは知っている。
なんにでも当てはまることだが、当人は我慢できない状況をすぐに脱したくて、自分の精神がいかれてしまう前に一時的に守ってほしくて、ひとまず何かしらの殻が欲しいだけなのだ。
あとは時間をかけて解決していけばいい。
進みすぎた環境に戸惑う。
外の世界に踏み出した瞬間から年を経るにつれて降りかかる決まりや風潮は個人を締め上げるばかり。
都市部の駅でホームの階段をのぼる黒い集団はまるで車に乗り込む奴隷のようだった。
違うのは場所と服だけ。
幸せを夢見て不幸の道を進み続けているようにしか見えない。
そこに違和感を感じる私は何をしようか。
これから何をするにしてもまずは職場に最低数か月通い続けねばならないのだが、それを考えると何人も職場の嫌な人間の顔が思い浮かぶ。
振り払おうとしてもそれは頭痛に変わって脳を締め付ける。
「〇〇さんもかなりの苦労を乗り越えてここにいるんだよ。」と具体的な人の名前をあげて私に言って聞かせた人物がいたが、それが私の人生において何の意味を持つというのか。
ああ、そうですか。以外の答えはないように思うがどうだろうか。
具体的に名前をあげられたその人はつい最近もかなり疲れた様子で、目には曖昧な光、表情は硬く、顔は少しやつれ、それを誤魔化すような明るい調子の声が印象に残っている。
それが社会で生き抜くということなのだろうか。
それじゃああまりにも味気なくて寂しいと思うがどうだろうか。
楽しいと思う人もいるのだろうか。
私はうつろになってまでそこに居たいと到底思えない。