自分について考える

 

今日は上司と話をした。

わざわざアパート近くまで来てもらえるようだったので、喫茶店で今後についての話を少しした。

休職の書類やら雑多なものまで持ってきてもらった。

ありがたやーの気持ちをなんとか素敵に伝える言葉を考えながらお茶をわかしている途中、手に取ったほうじ茶パックと同じ(床上150センチの)高さに置いていたミックスナッツの容器が墜落した…。

ぶちまけた…。

冷蔵庫の下にまでナッツが入り込んでしまった…。

冷蔵庫をずらしナッツを回収する作業で今日一日の3分の1の体力と精神力使った。

 

あ、そうそう。そうだった続き書こう。

ありがたやーで、私が話題を振らないもんだから、気を使ってくれたであろうその人は自分の近況を話してくれた。

内容は伏せるけど、話の中には家族の話がたくさん出てきた。

奥さんと子供との生活。苦しいことがあっても弱さを見せられる、受け止めてもらえる場所がこの人にはあるんだと思った。

羨ましいとか妬ましいとは思わなかったけど、この家庭で育つ子供は将来どんな問題にぶつかってどう解決していくのか興味がわいた。

意思疎通がしっかりできる大人がすぐそばにいて、100%ではないにしろ高い確率で助けてもらえる環境はどんな感じだろう。

わたしにはわからない心の安定がそこにはある気がした。

 

それと、アパートに親が来ているのか聞かれたりして、話の流れで自分の家族の話をちらほらした。近況報告なのでさらっと。

今も人ごみが嫌ですよー、親も姉も来てくれてますよー、ただ生活リズム合わなくてイラつくので来ないようにしてもらってますよーw、実家はエアコンもなく過ごしづらいので帰ってないですよーwといった話を笑いながらしましたよ。

そんな話をしている途中、私には助けてほしいと言える人がいるだろうかとふと思った。

両親も祖父母も健在だし姉もいるから言えないわけではないけど、言ったところで結果はわかりきっているというか。

父親は困って黙り込むだろうし、母親は自分語りにすりかえる、姉とは家族の愚痴を延々と話すだけだし、父方の祖父母は話に取り合わないだろう、母方の祖母は一緒に住んでいないからよくわからない。

学生時代つるんでいた友達も、その場限りの関係だった。現に頻繁に会って話したり遊びに行くような人はいないし、悩みも詳しく話したことはなかった。

どんな悩みも結局一人で解決しないといけないなら、人と話す以外の方法で誰かの考えに触れて解決していけばいい。

それが私にとってストレスのたまらない解決方法だから。

たいして強くないのに頼り方や人付き合いがわからず育ってしまったわけだが、今はこの考えを矯正する必要さを感じない。

この結論にたどり着くことができてよかった。休んだ甲斐があった。